拙著『皇帝の財務諸表 ― 歴史の興亡をキャッシュフローで解く』の無料キャンペーンは、9月23日までです。前回は全10章をひととおり紹介しましたので、今回はまったく別の切り口で書きました。
この本には、ほかの「歴史×ビジネス」本とはっきり違うところが1つあります。私はもともと農学の人間で、家畜育種学を専門にしてきました。歴史学者でも経済学者でもありません。その人間が財務諸表の本を書くと、「なぜその数字になったのか」を、最後は生物と土地の話まで下ろしてしまうのです。
いちばん分かりやすい例が、万里の長城です。地図でルートをなぞると、年間降水量400ミリの等雨量線とほぼ重なります。偶然ではありません。400ミリは農業の境界線で、これより雨が多ければ麦や粟を安定して育てられ、少なければ草しか生えず、遊牧になるしかない。線の内側には収穫という形で富を生み出す人々がいて、外側にはその手段を土地から与えられていない人々がいる。作る側と奪う側の境界を決めたのは、皇帝ではなく雨でした。
つまり長城は、国家のキャッシュフローの源泉である農地を守るための資産保全の設備です。明代、長城沿いには約80万人の兵士が配置されていましたが、壁がなければ同等の防衛力に数倍の兵が要ったと試算されています。無駄な公共事業の代名詞のように言われますが、財務的に見ると評価は逆になります。
note記事では、この「生物と土地の制約が王朝の財務を決めた」という縦糸一本で、本書を通しました。
- 長城が年間降水量400ミリの線の上を走っている理由と、明代の約80万人という兵数
- 塩の専売が最強だったのは、ナトリウムが浸透圧と神経伝達に不可欠だから。需要の価格弾力性が生物学的な理由でほぼゼロになる話
- 産業革命前の富は、すべて光合成の産物だった。その年その土地が固定したエネルギーという絶対の上限
- 土の窒素とリン、つまり「地力」は王朝の内部留保。取り崩しても帳簿はしばらく黒字のまま
- 都が南へ動いたのは日照と水の差。南宋が金と渡り合えた理由と、永楽帝の北京遷都が招いた1449年の土木の変
- チューリップの球根が年収の10倍になったのは、種から開花まで7〜12年かかるから。しかも高値がついた縞模様はモザイク病ウイルスの仕業だった
- 新田開発の成功が米価を下げ、武士の実質購買力を享保期に元禄期の50〜60%まで落とした話
続きは、noteの記事でお読みください。
全10章の全体像を章ごとに紹介した第1弾もあります。
▶ 第1弾「140年かけて貯めた現金を、六代目が一代で溶かしました」
なお、Kindleの無料キャンペーンは米国太平洋時間で管理されているため、終了は日本時間の24日昼過ぎまでずれ込む計算ですが、あてにせず早めに取っていただくのが安全です。

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